「宗教離れ」という言葉が社会で語られることが増えています。しかし、実態はどうなのでしょうか。文化庁が毎年公表している『宗教年鑑』によると、日本の「信者数」は約1億7千万人で推移しており、この数は総人口を大きく上回ります。一方で、個人を対象とした意識調査では、明確な信仰を持つと答える人は3割程度にとどまります。
人口を超える「信者数」と、低位で安定する「信仰心」。この一見矛盾する統計は何を意味しているのでしょうか。
出典: 文化庁「宗教統計調査」
文化庁『宗教年鑑』は、宗教法人法第25条に基づき、全国の宗教法人が所轄庁に提出する報告書を集計したものです。報告が義務づけられている項目は、「信者数」「教職員数」「財産の概要」などであり、いずれも法人の管理運営に関わる行政情報です。
信者数の算出基準は教団ごとに異なります。「名簿上の登録者」や「家族単位」での計算、さらには「過去に所属していた人を含む」場合もあります。たとえば、檀家制度をもつ寺院では、実際には他県に転居した家族や、寺との関わりが希薄になった世帯も、名簿上は檀家として記録され続ける場合があります。同様に、氏子台帳や信徒名簿においても、届出ベースの更新が行われない限り、制度上の「所属」は維持されます。
したがって、『宗教年鑑』の「信者数」とは、個人の信仰心の強さや宗教活動への参加度を測る指標ではなく、宗教法人が報告する「制度上の所属者数」を集計したものです。この数字は、宗教法人の規模や分布を把握するための行政資料として機能していますが、日本人の信仰実態を直接反映するものではありません。
一方、個人を対象とした意識調査では、まったく異なる数字が示されています。NHK放送文化研究所の「日本人の意識調査」(2018年)によると、「宗教的なものを何も信じていない」と答えた人は32%、残りの68%は神・仏・あの世など何らかの宗教的対象を信じていると回答しています(複数回答可)。ただし、「神を信じている」は31%、「仏を信じている」は38%と、特定の対象への信仰は限定的です。
「宗教的なものを何も信じていない」と回答したのは32.00%。 残りの68%は神・仏・あの世など何らかの宗教的対象を信じていると回答しています。
出典: NHK放送文化研究所「日本人の意識調査」(2018年)
複数回答のため合計は100%を超えます。複数の対象を同時に信じている人も多く、日本的な重層的信仰のあり方が見て取れます。
出典: NHK放送文化研究所「日本人の意識調査」(2018年)
文化庁統計では**人口の139%が「信者」とされる一方、個人調査では68%が「何らかの信仰を持つ」**と回答しています。このギャップが生じる理由は、両者が測定している対象の違いにあります。
出典: 文化庁「宗教統計調査」(2024年)/ NHK放送文化研究所「日本人の意識調査」(2018年)
文化庁統計は「宗教法人への制度的所属」を、個人調査は「個人の信仰意識」を測定しています。制度上の所属が維持されていても、個人が明確な信仰心を持つとは限りません。この構造的な違いが、パラドックスの核心です。
このギャップは一時的な現象なのでしょうか。長期的な推移を見てみましょう。
NHK調査: 1973年から2018年まで5年ごとに実施。 「神を信じている」と答えた人の割合は30%前後で安定的に推移しています。
Pew調査: 2023年に実施。 「宗教が重要」(Very important + Somewhat important)と答えた人は38.2%でした。 NHKとは質問内容が異なるため直接比較はできませんが、同様に低い水準であることを示しています。
出典: NHK放送文化研究所「日本人の意識調査」(1973-2018年)/ Pew Research Center "Religion and Spirituality in East Asian Societies" (2023)
NHK調査によると、「神を信じている」と答えた人の割合は、1973年の33%から2018年の31%まで、45年間にわたり30%前後で安定的に推移しています。Pew Research Centerが2023年に実施した調査でも、「宗教が重要」と答えた人は38.2%であり、同様の水準を示しています。
個人の信仰意識は横ばいで推移し、文化庁統計の「信者数」も横ばいで推移しています。しかし、両者の水準には一貫してギャップが存在します。このギャップは数十年にわたって安定的に維持されており、一時的な現象ではなく、構造的なものであることがわかります。
「信者数は人口を超えるが、信仰心は低い」――この統計上の矛盾は、測定対象の違いから生じています。
文化庁統計は、宗教法人の活動実態を把握するための行政資料であり、個人の信仰心を測定する目的で設計されたものではありません。一方、個人調査は回答者の主観的な意識を測定しますが、「信仰」や「宗教」という言葉の解釈は人によって異なります。
どちらの統計が「正しい」かではなく、それぞれが異なる側面を測定している――この理解が必要です。制度としての宗教と、意識としての信仰は、日本においては必ずしも重ならない。このギャップは、統計の不備や誤りではなく、制度的な所属と個人の信仰が分離した状態が長期にわたって維持されているという、日本の宗教の構造を示しています。