日本語で初めて聖書を翻訳した人物は、聖職者でも学者でもなく、一人の「漂流民」でした。その名は山本音吉(やまもと おときち)です。「乙吉」とも書かれ、後にイギリスに帰化してジョン・マシュー・オトソン(John Matthew Ottoson)という名を名乗ったとされています。
音吉は江戸時代後期、尾張国(現在の愛知県)出身と伝えられています。漁に出た際に遭難し、長い漂流の末に北米のクイーンシャーロット諸島(現在のカナダ西岸付近)に流れ着きました。
その後、イギリスや中国を経て、西洋の宣教師や商人たちと交流するようになります。この経験が、後の日本語聖書翻訳に関わるきっかけとなりました。
宣教師カール・ギュツラフ(Karl Gützlaff)は、19世紀前半に聖書を東アジア諸言語へ翻訳する活動を進めていました。
その際、日本語の知識を持つ人物として音吉ら漂流民が協力したとされます。音吉が携わったと伝わるのが、『約翰福音之伝(ヨハネによる福音書)』です。
この翻訳は1837年ごろ、当時シンガポールの堅夏書院(Guang-hua Press)で印刷され、「日本語訳聖書」の嚆矢として知られています。
現代の日本語から見れば不完全な表現も多いものの、西洋と日本の言語・文化の接点として歴史的に大きな意味を持ちました。
現在、原本は世界で十数部しか確認されていません。国内外の主要な所蔵機関は以下の通りです。
同志社大学(京都市)
新島遺品庫に所蔵。1938年に米国聖書協会より寄贈された記録あり。
参考:国立国会図書館レファレンス
明治学院大学図書館
同大学の「聖書和訳史」資料で紹介。シンガポール刊行の堅夏書院版とされます。
参考:明治学院大学 聖書和訳史
天理図書館・東京神学大学・日本聖書協会
複数の研究で所蔵が確認されています(『日本語の研究』第19巻第2号、宮川創)。
海外所蔵
英国聖書協会、大英図書館、ハーバード大学、米国外国伝道協会などにも現存本あり。
世界全体で確認されるのは約16部前後とされています。
参考:BiblioAsia(National Library of Singapore)
『約翰福音之伝』は、単なる翻訳資料にとどまらず、近代日本語形成や宗教言語の発展を考える上で重要な史料として位置づけられています。主な研究は以下の通りです。
これらの研究では、音吉の日本語知識がどの程度反映されているか、また翻訳過程で複数の漂流民が関与した可能性なども検討されています。