悲劇的な銃犯罪が起きると必ず再燃する、銃規制に関する議論。賛成派と反対派、両者の意見は「銃規制だけでは決して銃犯罪の根本的解決には至らない」ことを示しています。
以前から銃砲規制の問題は激しく議論されています。銃規制法の推進派は、「銃が増えるほど殺人も増える」と主張します。その根拠は、例えば「規制が緩く銃の多いアメリカでは,人口に対する殺人率がかなり高いのに対し、銃規制の厳しいイギリスでは殺人率が低い」というものです。
一方で反対派は,銃の数と殺人率に相関関係はない、その根拠は、例えば「ほとんどの人が簡単に銃を入手できるスイスでは殺人率が低い」といったものです。
さらに問題を複雑化させている要因の一つは、「アメリカで銃を使わない殺人率がヨーロッパの多くの国々の殺人率(全殺人率)よりも高くなっている」という点です。
つまり、「銃がなくても殺人は起きる。銃を規制しても解決にはならない」という主張を裏付ける統計データがあるということです。
特定の考え方を強調するために統計を使用したり、誤用するということはよく行われることですが、銃規制の論議になると必ずこうした統計データが持ち出されます。
どちらの主張もそれなりに理にかなったものに聞こえ、問題を複雑化させています。
しかしながら、専門家たちは一般に、「銃の所有以外の多くの要素が、殺人の率や犯罪に影響を及ぼしている」ことを認めています。
他にも問題を複雑化させているいくつかの要素があります。
問題解決のためには何が必要でしょうか。
銃規制をしたり、警察官を増やしたり、刑期を厳しくする・・・・こうした試みはある一定の成果をあげる場合がありますが、残念ながら問題解決に至ることはないでしょう。なぜならこれらの手段は「対症療法」にすぎないからです。
脳腫瘍に苦しみながら頭痛薬を飲み続けているようなもので、根本の問題と向き合っていないのです。
一方で多くの研究者は、こうした「銃犯罪をなくすための鍵は教育である」と考えています。
ただしこれは、ただの「教育」ではありません。なぜなら、銃犯罪を始め、暴力行為の多い国には教育水準が高い国も低い国も含まれているからです。
その教育は人の心を動かし、平和を愛し、暴力を憎むように変化させるものでなければなりません。
では、どうすればそうした教育を行うことができるのでしょうか。
だれがそのように人々を教えることができるのでしょうか。